兵は詭道なり
戦術の要は敵を欺くことにある。能力があっても無いように見せ、必要であっても不要に見せる。遠ざかると見せ近づき、近づくと見せ遠ざかる。敵に有利なように見せて誘い、混乱させて敵を討つ。充実している敵には退いてこれに備え、強い敵は避ける。また、怒を誘って消耗させ、低姿勢に出て慢心させる。敵が落ち着いていれば奔走させて疲れさせ、団結していれば分離を図る。
このようにして備えの薄いところを攻め、不意をつく。これが戦術家の要諦であり柔軟性が必要であって、先に決めてかかってはならない。
詭道とは文字通り詭わり、欺くことであるが、古来、詭道をめぐって是非が問われてきた。否定論では、仁義に欠ける等々。肯定論では、詭わりも一つの道である。云々。
ここでは、村山 孚氏の解釈を取り上げる。
”「道」とはこの場合道義ではなく、客観的な法則、一種の弁証法的な運動法則といってよい。その有力な手段として心理操作がある。”
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