孫 子

六、虚 実

人に形せしめて我に形なければ、すなわち我は専らにして敵は分かれる

 敵の態勢を固定化させ、こちらは自在に動ける態勢で戦うならば、敵の力を分散することができる。仮にこちらが全軍を一つに集中させ、敵が十に分散したならば、十の力で一の相手を攻めることになる。つまり、多勢に無勢で、勝利は約束されたようなものである。
 また、どこから攻撃されるか分からなければ、敵は力を分散して備えなければならなくなる。敵の守備が多ければ、こちらの攻撃人数は少なくて済むのである。敵が前に備えれば後ろが手薄になり、後ろに備えれば今度は前が手薄になる。左右また同じであって、四方八方全てに備えを固めれば、全てが手薄になる。兵力の多少とは人数をいうのではない。つまり、少とは敵に備えるものであり、多とは敵を分散させて備えさせることなのである。
 従って、戦うべき場所、戦うべき日時を知っていれば、遠く千里の地であっても勝てる。これを知らなければ左翼と右翼、前衛と後衛それぞれが連携して戦うことなどできない。ましてや、遠くても数十里、近くて数里も行けないだろう。
 私の戦略をもってすれば、(えつ)の兵力が多いといっても、それが勝敗に有利なわけではない。勝利は人が行うのであって、敵が幾ら多くの兵力を持っていようと、それを戦えないようにすればよいのだ。
 








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